不遇なる一凡才の手記

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自由

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「護憲」「改憲」に加えて「加憲」「廃憲」といった新たな流派も現れ、昨今の憲法改正論議は百家争鳴の観を呈している。しかしながら、もともと討論が苦手な気質である上に互いに他の流派を心の底から軽蔑し合っているので、相変わらず議論が深まる気配はない。ところで、憲法論議の花形は言うまでもなく第九条であるが、これは国家の最重要機密であるので、ここでは触れないでおこう。その代わりに、この不磨の大典の中で最も地味な条文を取り上げてみようと思う。それは第十九条「思想及び良心の自由」である。曰く、「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」

この条文は論争どころか、そもそも専門家の間でさえ話題に上ることがない。その理由はこれが全く内容のない空文であり、誰の利害にも関わらないからである。実際、精神の自由は人類史上、一度として権力によって侵されたことはないのである。

このように断言すると、善良な人々から次のようにお叱りを受けるかもしれない。「人類の歴史とは権力者による人民弾圧の歴史である。言論・出版の統制は言うまでもなく、どれほど多くの生命までもが権力者の意のままに奪われてきたかことか。しかも、それは過去の話ではなく、現在でも多くの国々では日常的に行われているのだ!」と。

たしかに、言論・出版の自由が認められている国は現代に於いてさえ稀である。また、人間の生命が紙屑の如く扱われてきたことも事実である。しかし、精神の自由だけは何人によっても侵されたことはないのである。

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フランス革命は政治的な事件であると同時に、精神的な事件でもあった。王侯貴族だけでなく、イデオロギーの面で王権を支えていたカトリック教会もまた、サン・キュロットの標的となったのである。

「十分の一税の廃止」や「教会財産の国有化」に同意するなど、当初は概ね革命派に協力していた聖職者も、「公民宣誓」に対する態度で大きく分裂する。ローマ教皇にではなく、革命政府に忠誠を誓うことを強要された聖職者たちの苦悩は想像に難くない。ローマに殉じて公民宣誓を拒否した僧侶の多くは国外追放や虐殺の憂き目を見た。

更に革命政府に忠誠を誓ったはずの聖職者たちにも苦難が待ち受けていた。ルイ16世の処刑後に革命は急進化し、サン・キュロットはキリスト教そのものをも迫害するようになる。この所謂「非キリスト教化運動」は猛威を振るい、93年11月、ついにパリ大司教にまで魔の手が伸びた。狂信的無神論者たちに「聖職放棄かギロチンか」の二者択一を迫られたゴベル大司教は、国民公会の議場に登壇する。彼は十字架を演壇に置き、次のように宣言した。

“庶民として生まれた私は、つねに自由と平等を愛し、人民主権を尊重してきました。人民の意志が私にとって第一の法であり、彼らの意志に従うことは私の義務でありました。この人民の意志が私をパリの司教座に押し上げたのです。……しかし、革命が成り、自由が闊歩する今日、自由と平等への信仰以外に国民の宗教はもはや不要であります。それゆえ、私はカトリックの司牧職を放棄することにいたします。私の補佐たちも同様であります。私たちは叙任状をあなたがたに供出いたします。この例にしたがって、自由と平等の支配が確固たるものになるよう願うものであります。共和国万歳!”

ゴベルが勇気を持って信仰を告白し、怒り狂う無神論者に謀殺されたとしよう。その時に彼が失ったものは生命であって精神ではない。彼が死をもって信仰を守れば、それは一粒の麦となり、やがて多くの精神を実らせであろう。彼は革命の犠牲者ではない。それどころか自分が本当に信じていたものが何であるかを悟ったのであるから、むしろアンチ・クリストに感謝するべきであろう。

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フランス革命から百数十年後、再びヨーロッパの地で新たな恐怖政治が出現した。言うまでもなくナチスの独裁であるが、彼らの政治犯罪の中でも強制収容所でのそれは、人類史の暗黒面として永遠に記憶されることであろう。しかしながら、ここに於いても精神の自由だけは、遂に侵されることはなかったのである。

強制収容所からの生還者であり、その壮絶な体験を精神医学者の視点から冷静に筆致したV・E・フランクルの『夜と霧』は20世紀を代表する名著である。その中に「精神の自由」と題された一節がある。

“感情の消滅を克服し、あるいは感情の暴走を抑えていた人や、最後に残された精神の自由、つまり周囲はどうあれ「わたし」を見失わなかった英雄的な人の例はぽつぽつと見受けられた。一見どうにもならない極限状態でも、やはりそういったことはあったのだ。”

“収容所の日々、いや時々刻々は、内心の決断を迫る状況また状況の連続だった。人間の独自性、つまり精神の自由などいつでも奪えるのだと威嚇し、自由も尊厳も放棄して外的な条件に弄ばれるたんなるモノとなりはて、「典型的な」被収容者へと焼き直されたほうが身のためだと誘惑する環境の力の前にひざまずいて堕落に甘んじるか、あるいは拒否するか、という決断だ。”

“典型的な「被収容者」となるか、あるいは収容所にいてもなお人間として踏みとどまり、おのれの尊厳を守る人間になるかは、自分自身が決めることなのだ。

かつてドストエフスキーはこう言った。

「わたしが恐れるのはただひとつ、わたしがわたしの苦悩に値しない人間になることだ」

この究極の、そしてけっして失われることのない人間の内なる自由を、収容所におけるふるまいや苦しみや死によって証していたあの殉教者のような人びとを知った者は、ドストエフスキーのこの言葉を繰り返し噛みしめることだろう。その人びとは、わたしはわたしの「苦悩に値する」人間だ、と言うことができただろう。彼らは、まっとうに苦しむことは、それだけでもう精神的になにごとかをなしとげることだ、ということを証していた。最後の瞬間までだれも奪うことのできない人間の精神的自由は、彼が最後の息をひきとるまで、その生を意味深いものにした。”

内面の自由は現象の彼岸に存在する。従って現象界の制度に過ぎない政治や法律によって左右され得るものではない。「カエサルものはカエサルに、神のものは神に。」精神はカエサルたちが決して手出しできない神の国に属しているのである。

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長らくの間『日本国憲法』は、憲法学の素人ではあるが学位取得者の手による気軽なパンフレットであると考えられてきた。しかし、永遠に自由である人間の精神をわざわざ法によって保護しようとするとは、さすがに高等教育を受けた者の発想であるとは思えない。件の紙切れは改憲派の言うとおり子供 ― おそらく12歳くらい ― の落書きと言っても強ち間違いではなかろう。