不遇なる一凡才の手記

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『世界の多様性 (世界の幼少期)』

f:id:mukashi_otoko:20160919171614j:plain 『世界の多様性』エマニュエル・トッド著/藤原書店

 

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聖人伝や英雄譚を排除して、「それが実際に起こったままに」記述することを旨とする近代歴史学は19世紀ヨーロッパで始まった。テクスト批判を乗り越えた真正の公文書を蓄積すれば、自ら資料が歴史を語り出す。それが実証主義的な歴史家のアイデアであった。

原子論的に小さな事実を探求するという点で彼らの態度は科学的ではあったが、蓄積された事実から法則を定立する意思に乏しかったため、彼らの描く歴史は個性記述的なアーツに留まった。また、資料の大半を公的な文書に依拠した結果、記述内容が政治・外交史に偏ることにもなった。

他方で、そのような歴史記述に満足しない一群の知性も存在した。彼らは「社会科学の女王」である経済学を利用して歴史の法則を探求した。その主流は言うまでもなくマルクス主義歴史学であり、その影響は20世紀の第3四半期までは猛威をふるったが、その後は学問に於いても、また現実に於いてもほぼ完全に否定された。

更に、マルクス主義の敗北はその「信仰者」だけでなく、歴史学全体にも重大な影響を及ぼした。それは法則定立的な歴史観を揺さぶり、結果として歴史学の存在価値そのものが疑われることにも繋がったのである。大きな物語は消え失せ、些末なテーマを扱った塵のような論文が専門誌を席捲し、まるで資源ゴミのように大学図書館に貯蔵され、現在に至る。

以上のように歴史学が危機に陥った時代背景の下、当時30代前半であったエマニュエル・トッドが、人類学や人口学といった隣接諸科学の知見を利用して、新たな人類史を試みたものが本書である。

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副題にある通り、本書のテーマは「家族構造と成長」である。社会科学に於いて、成長は主にGDPのような経済的指標で語られる傾向にあるが、トッドの定義する成長は文化的なものであり、その指標となる数値は識字率である。それは精神的なテイクオフであり、近代性の獲得と言い換えてもよい。彼によると経済的発展は文化的成長の派生物に過ぎない。つまり、著者は経済発展を識字化の従属変数として捉えているのである。

“1979年の国民一人当たりの生産高によって測定された経済発展の分布地図は、二世紀にわたる産業上の競争を経て、結局のところ1850年頃のヨーロッパの識字率の高低分布図を再現するものとなっている。スカンジナヴィア、ドイツ、オランダは、イギリスをはるかに越えたのである。”

文化的成長と近代化に対するトッドの視点は、日本人の通俗的歴史観に対してコペルニクス的転回を要求する。我々は漱石以来の「外発的に開化した日本」というドグマを疑わなければならないのだ。近代化の起点はユーラシアの両極に存在した。それは北欧・ゲルマンと日本であり、それらの文化的成長は共に縦型双系の家族構造に宿命付けられていたのである。

“確かに日本は、経済的な領域で非常にはやく追いついた。というのも、経済は成長のプロセスの本質的な要素ではないからだ。しかし人類学的な領域でヨーロッパからの遅れを取り戻すという現象はなかった。それは、この根底的な領域においては、日本の成長は一度も遅れたことがなかったというきわめて単純な理由からである。”

“とりわけ1680年から1871年の間の日本について行なわれた歴史人口学のいくつかの研究は、この地域が、徳川時代といわれた時期にはすでにヨーロッパ型の人口学・人類学的なバランスを実現していたことを示している。”

日本の近代化は“開明的な”明治政府の努力の賜物ではない。また、戦後の急速な経済成長も“優秀な”官僚の御指導の御蔭ではない。それらは彼らの無能・無策にも関わらず成し遂げられたものであり、その真の原動力は家族構造にあったのである。

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楽観的な気質で人類の普遍性と進歩を信じるジャコバン派の著者ではあるが、啓蒙の闇に目を閉ざすことはない。「人類の進歩、各社会の進歩のそれぞれの段階は、まずは識字率によって要約することができる」が、「ある国、ある人民が大衆規模での識字化に達するとき、政治的な騒乱なしに進行することは稀である」と、識字化の社会的帰結を語り始める「第Ⅱ部」が本書の読み所である。

著者によると、若い男性の識字率が70%を越えたとき、大衆の暴力的な行動が発生する。それはフランスやロシアのように革命のかたちをとる場合もあれば、そうでない場合もある。いずれにせよ、掲げるイデオロギーは家族構造に規定されることになる。例えば、イラン革命は反近代的な退行現象のように見えるが、それは内婚制共同体社会特有のイデオロギーであり、ヨーロッパの市民革命と同じく近代化の一過程なのである。ここに、アラブ革命を予言したとされるトッド歴史学の重要なシェーマ「移行期危機」がはやくも顕現している。彼の未来を観る眼は鋭い。

“1984年(※初版が出版された年)頃で、三つの地域がまだそのイデオロギー的潜在力の発揮が待たれるが、それらはそれぞれ文化的な開発が遅れている三大地域に呼応する。アラブ・イスラム世界(極東のイスラム圏は除く)、イデオロギー的にはケララ州だけが唯一完全に活性化されているインド、そしてアフリカの全体がそれである。1985-2100年の間に極めて際立った政治的、宗教的な動揺が起こると見られるのは、このグループの国々においてである。”

人類の識字化は直系家族から始まり周辺部へと伝播する。その過程で移行期危機を経るものの、やがてその混乱も終息する。一部の未開社会を除いて、今世紀中に全人類の識字化が完了するであろう。時を待たずして、全世界的な人口の停滞・減少局面を迎えるに違いない。「世界の幼少期」は終焉を迎え、新しい時代 ― ニヒリズムの時代 ― が到来する。