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不遇なる一凡才の手記

https://twitter.com/mukashi_otoko

ネトウヨの手記

この手記の筆者も『手記』そのものも、いうまでもなく、フィクションである。しかしながら、ひろくわが戦後社会の成立に影響した諸事情を考慮にいれるなら、この手記の作者のような人物がわが社会に存在することはひとつもふしぎではないし、むしろ当然なくらいである。

 

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ネトウヨの夜は長い。その日も僕は日の丸ハチマキを額に巻いて、ネットの動画を見ていた。「あなたへのおすすめ」はもちろん「チャンネルさくらんぼ」のサムネイルだらけだ。僕は何気なくその中の1つをクリックした。

センスの悪いタイトル動画が始まり、いつもの太った司会者が現れる。この男、迸る愛国心はムンムン伝わってくるのだが、相変わらず何を言っているのかよく分からない。その巨体の横にはゲストであろう、評論家の西尾幹二氏が鎮座していた。

軽快に自説を開陳する保守言論界の長老。僕はその直言に心から酔い痴れていた。ところが愛国心で気分が高揚したそのとき、思いがけない言葉を翁が呟いた。氏はあろうことか「保守は馬鹿!」と断言したのである。「保守=正義」と信じていた僕は衝撃を受けた。「そ、そんなはずはない!」と思い、恐る恐る頭の中で「保守」を「馬鹿」に変換してみた。

真正保守 ⇒ 真正馬鹿

行動する保守 ⇒ 行動する馬鹿

親米・反米保守 ⇒ 親米・反米馬鹿

アニオタ保守本流 ⇒ アニオタ馬鹿本流

「ピッタリと当て嵌まるではないか!」と驚愕する僕。胸の動悸は治まらなかったが、突然睡魔に襲われたので、その夜は愛国活動を中断し(動画のアクセスを増やすことも立派な活動である!)、眠ることにした。

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ネトウヨに朝は無い。毎日、真っ昼間に起きる僕は近頃「森田一義アワー」が無性に恋しい。子供のころから慣れ親しんでいたのだから当然だ。人は失って初めて大切なものに気付くのである。それは国家だって同じだ。反日の連中もいつの日か国家の大切さに気付くに違いない。しかしその時にはもはや全てが手遅れなのだ!

ところで今日は酷く目覚めが悪い。原因は昨日の動画だ。西尾幹二の言葉が僕の頭の中を何度も何度も駆け巡る。「ウワァー!止めてくれ!保守は絶対に馬鹿じゃない!」と心の中で叫んだ。「何かこの不快感を払拭する手立てはないだろうか?」「そうだ、書店に行こう!良い本が見つかるかもしれない。」保守の知られざる傑作を求めて、久しぶりの外出だ。

不安な足取りでA書店に到着。この辺りではわりと大きな書店だ。脇目もふらず僕は「いつもの棚」へと向かった。誇らしいことに最近では我々の活動が実り始め、それなりの書店には保守本がズラッと並ぶ専用の棚が存在するのだ!

僕の足は少しばかり震えていた。自分の「信仰」が打ち破られるのが怖かったのである。「もし保守が馬鹿だとすれば、今までの活動は何だったのだろう?」僕は精神の危機に直面していた。

“真理というものが、私がそれを認めようが認めまいがおかまいなく、信頼して身をゆだねさせるよりもむしろ恐怖の戦慄を呼び起こしながら、冷たくそして裸で私の前に立っているとしたら、そのような真理が私に何の役に立つだろう。”

西尾幹二の言葉が真理であったとして、それに一体どれほどの意味があろうか!」

そう自分に言い聞かせた。そして勇気を振り絞り尊敬する諸先生方の本を見遣ると…

倉山満

『保守の心得』 ⇒ 『馬鹿の心得』

中島岳志

リベラル保守宣言』 ⇒ 『リベラル馬鹿宣言』

中野剛

『保守とは何だろうか』 ⇒ 『馬鹿とは何だろうか』

「ああ、すべて当て嵌まる…」僕の頭の中は真白になった。「保守は、馬鹿か…」そう呟いて、茫然と栄光の棚の前で佇んでいた。結論が出た以上もはや書店に用はない。僕はそこから立ち去ることにした。ところが溢れる涙を拭い、踵を返そうとしたそのとき、闇の奥から一条の光が射していることに気が付いた。青ざめた顔をそちらに向けると、小さな本の表紙に「保守」の字が微かに見える。

最後の力を振り絞り僕はその本を手に取った。死んだ魚のような両眼に再び生命の炎が点される。「こ、これは<ゆとり保守界の若きエース>KAZUYA氏の本ではないか!」僕はタイトルを一瞥した。

KAZUYA

『日本一わかりやすい保守の本』 ⇒ 『日本一わかりやすい馬鹿の本』

僕は西尾幹二に敗北した…。

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ネトウヨの昼は静寂だ。夜の戦いのためにひっそりと備えるのが日課である。昼間から「AHOO! 知恵遅れ」に書き込みでもすれば、反日の連中に「ニートは黙れ!」と返されてしまうからだ。ところで奴らもこんな時間に何をしているのだろう?まあ、いずれにせよ我々の戦いとは無関係に、腐りきった戦後日本社会は真っ逆さまに転落して行くのだ!

「このままでは駄目だ。理論、新しい保守の理論が必要だ!」僕は決意を新たに図書館まで足を運ぶことにした。「とにかく西尾幹二を倒さねばならない!」

自慢ではないが僕はネトウヨにしては読書家である。『iLL』も『症論』も毎号欠かさず読んでいる。だから昔の偉い人の名前くらいは自然と覚えてしまう。最も偉大な人物はエドマンド・バークという人らしい。そして日本にも昔は立派な保守思想家がいたそうだ。

軽快な足取りで図書館に到着。早速あまり馴染みのない文芸コーナーに足を踏み入れた。「深沢…、福島…、福田和也じゃない、福田恆存、あった!」僕は『福田恆存評論全集』を手に取った。

「ぶ、分厚い。それに八巻もある…。でも、必ずこの中に僕が必要としている言葉があるはずだ。」震える手を抑えて、取り敢えず各巻の目次に目を通してみた。「あった!『私の保守主義観』こっ、これだ…。」僕は期待と不安を胸に読み始めた。

“私の生き方ないし考え方の根本は保守的であるが、自分を保守主義者とは考へない。革新派が改革主義を掲げるやうには、保守派は保守主義を奉じるべきではないと思ふからだ。私の言ひたいことはそれに盡きる。”

“保守派が合理的でないのは當然なのだ。むしろそれは合理的であつてはならぬ。”

“保守派は見とほしをもつてはならない。”

“保守的な態度といふものはあつても、保守主義などといふものはありえないことを言ひたいのだ。保守派はその態度によつて人を納得させるべきであつて、イデオロギーによつて承服させるべきではないし、またそんなことは出来ぬはずである。”

“保守派が保守主義をふりかざし、それを大義名分化したとき、それは反動になる。”

“保守派は無智といはれようと、頑迷といはれようと、まづ素直で正直であればよい。”

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ネトウヨの深夜は戦場だ。本来ならば反日の連中を論破しなければならない時間だが、今日に限ってはパソコンの電源を入れる気すらしない。原因は昼間の図書館だ。福田恆存の言葉が僕の頭の中を完全に支配していた。鬱蒼とした感情が胸を締め付ける。しかし同時に、心の奥底で何かが芽生えるのを僕は感じていた…。

その夜、彼は生涯で初めて自己と向き合った。裸になり、すべての雑念を取り払って、己の精神を見つめ直した。以下は戦後日本社会が生んだ世紀児の告白である。

”ぼくが片隅で精神的な腐敗と、あるべき環境の欠如と、生きた生活との絶縁と、ネットで養われた虚栄に充ちた敵意とで、いかに自分の人生をむだに葬っていたか。”

”ぼくらは、真の≪生きた生活≫を、ほとんど労役かお勤めとみなすまでになっていて、それぞれ腹のなかでは、ネット式のほうがよほどましだとさえ思っているのだ。”

”ぼくらからネットを取り上げて、裸にしてみるがいい、ぼくらはすぐさままごついて、途方にくれてしまうだろう。どこにつけばよいか、何を指針としたらよいかも、何を愛し、何を憎むべきかも、何を尊敬し、何を軽蔑すべきかも、まるでわからなくなってしまうのじゃないだろうか?”

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ネトウヨにも朝が来た。いつものように遅くまで起きていたのに、今日はコロッと目が覚めてしまった。それにしても不思議なくらい頭がすっきりしている。爽やかで、何とも吹っ切れた気分だ。

「生活、そう生活だ。それを取り戻さなければならない。」「とりあえずバイトを探そう!」

彼は自分に欠落していたものに気が付いた。それは愛国心でもなければ、保守の論理でもなく、生きた生活であった。

「行ってきま〜す!」

タック入りのケミカルウォッシュ・ジーンズに、赤と黒のチェックシャツをイン。お気に入りのリュックを背負った彼の後姿は、眩しいほど、かっ、輝いていた…。

 

【完】

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