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不遇なる一凡才の手記

https://twitter.com/mukashi_otoko

東京都知事選挙

都知事選挙(2014)

前回2014年の都知事選は、田母神俊雄航空幕僚長の立候補によって、政治イデオロギーに関心を持つ層から非常に注目される選挙となった。

大政党からの推薦や公認のない田母神であったが、石原慎太郎元知事の応援もあり、マスメディアによる泡沫候補扱いから脱出。旧日本軍を彷彿させる選挙参謀を抱えながらも、約61万票を獲得したことは記憶に新しい。

f:id:mukashi_otoko:20160806193437p:plain 図1

f:id:mukashi_otoko:20160806193529p:plain 図2

図1は東京23区に於ける「大卒者の割合」と「田母神俊雄の得票率」の関係を、図2は「所得水準」と「田母神俊雄の得票率」の関係を示している。相関係数はそれぞれ「+0.60」と「+0.59」である。これらの数値から学歴や所得と田母神に投票した有権者との間には正の相関があると推測できる。ちなみに、得票率の高い特別区は上から「千代田区(18.00)」「中央区(16.45)」「港区(15.05)」であり、低い特別区は下から「足立区(11.75)」「葛飾区(12.04)」「北区(12.46)」であった。

都知事選には敗北したものの、想定外の票を獲得したことで勢いに乗る田母神は、同年11月の衆議院選挙に次世代の党から立候補。初戦では極めて得票率の低かった東京12区(北区・足立区)へ勇猛果敢に突撃し、これまた旧日本軍を彷彿させる玉砕精神を発揮したが、敢え無く敗北。現在、都内某所で生きて捕囚の辱めを受けている。

都知事選挙(2016)

今回2016年の都知事選に於いても注目すべき(でない)右派候補者が現れた。悪名高き在特会の前代表、「ヘイト豚」こと桜井誠である。橋下徹大阪市長(当時)との即興コントでは「選挙に興味がない」と公言していたが、「息を吐くように嘘を吐く」の言葉通り前言を翻して立候補。合法的にヘイト活動に勤しんだ。

f:id:mukashi_otoko:20160806193727p:plain 図3

図3は東京23区に於ける「田母神俊雄の得票率(2014)」と「桜井誠の得票率(2016)」の関係を示している。相関係数(+0.39)である。この数値のみでは判断できないが、投票者にある程度の重なりがあったと推察される。ところが、学歴と所得との関係をみると両者の違いが鮮明になる。

f:id:mukashi_otoko:20160806193840p:plain 図4

f:id:mukashi_otoko:20160806193918p:plain 図5

 

図4は東京23区に於ける「大卒者の割合」と「桜井誠の得票率」の関係を、図5は「所得水準」と「桜井誠の得票率」の関係を示している。相関係数は共に「-0.26」である。ヘイトスピーチに嫌悪を感じることなく桜井に投票した人々は、低学歴・低収入の典型的なネトウヨと思われがちだが、案外ゆるやかな負の相関が現れた。しかし、先に示した「田母神俊雄の得票率」の相関係数と比較すると、大きな隔たりがあることが分かる。それぞれが最右派の候補でありながら、その投票者の内部には大きな断層があるようだ。

・田母神票の行方

イデオロギーの観点から判断すると、今回の選挙で桜井に投票した有権者の大部分は、2014年の選挙では田母神に投票したと考えられる。しかし、票数の差からその逆は成り立たず、単純に計算すると、田母神に投票した有権者の中で桜井に投票しなかった有権者が区内だけでも約36万5千人いたことになる。これらの人々は大きく分けて二つのグループに分類できるであろう。一つはヘイト系ネトウヨを嫌悪する常識を弁えた「保守」であり、もう一つは消去法で田母神に投票した「中道」の人々である。彼らは今回の選挙ではどちらの候補を選好したのであろうか。

前者の保守層はイデオロギー的傾向から小池百合子に投票したことは想像に難くない。また後者の中道層も、合理的で理知的な人々と推定できるので、議会に操られそうな増田寛也ではなく、バッファープレイヤーとして小池に投票したのではなかろうか。従って、田母神票の大部分が今次の選挙に於いては彼女の地滑り的勝利に貢献したものと思われる。

ネトウヨの未来

最後に、ヘイト系ネトウヨの未来を予測してみよう。今回、桜井誠が獲得した票は都内全域で114,117であった。この票数を得票率に換算すると1.74%となるが、これはもちろん有効投票数を分母としたものである。仮に棄権を分母に含めてみると、その数値は1.03%になる。つまり、都民の約1%が桜井を支持したことになる。そして、この1%という数字が日本社会にまつわる、ある重要な事実を示唆している。

古来、日本人は海外の先進文明から多くのものを取り入れて来た。物心を問わず外から来たものを融通無碍に吸収する柔軟さが日本文明の特徴であると指摘されることもある。しかし、その一方で拒絶したものもまた少なくない。その代表例がキリスト教であろう。もちろん、日本社会に対するキリスト教の影響は皆無ではない。考えてみれば、キリスト教と全く無関係な日本人など殆ど存在しないのではないだろうか。結婚式やクリスマスのイベントなどで教会に一度くらいは足を踏み入れたことがあるだろうし、ミッション系の私学は列島の津々浦々に存在する。従って、多くの日本人が何らかのかたちでキリスト教に触れているはずだ。しかし、地道な布教活動にも関わらず信徒数は一向に伸びず、その数が100万人を超えたことがないと言われている。関係者はそれを「1%の壁」と呼び、その原因究明に頭を悩ませている。

世界宗教であるキリスト教とヘイト系ネトウヨを同列に論じることは不謹慎かもしれないが、宗教であれ政治であれ、明確な信条を持たぬことを信条とする我が国の文化に於いては、この「1%の壁」はネトウヨの未来をも暗示している。

もちろん将来予測される労働力不足から、移民が大量に流入する時代が到来すれば、状況は大きく変化するかもしれない。ヨーロッパで排外主義と喧伝される政党が躍進しているように、日本でも右派の政治勢力が台頭する可能性が高い。しかし、それは在特会のような貧弱な組織ではなく、一部のエスタブリッシュメントをも取り込んだ新たな政治勢力であろう。近代的に組織化され、世間一般からも受け入れられる、洗練されたグループが現れるに違いない。その時にはもはや「在特会桜井誠となかまたち」は完全に忘れ去られ、日本珍右翼史上の小さなエピソードとしてのみ語られるであろう。

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五条天神 ⇒ 清水寺

f:id:mukashi_otoko:20160709172129j:plain 五条天神

「五条」の天神でありながら松原通に鎮座する五条天神宮。秀吉による都市改造までは、現在の松原通五条通があったからです。『義経記』では、この辺りで義経と弁慶が遭遇したことになっています。

”あはれ太刀やな。何ともあれ、取らんずるものを”

”彼奴も只者にてはなし。この頃都に人の太刀取る者は、彼奴にてあるよ。”

f:id:mukashi_otoko:20160709172740j:plain 俊成社

「五条三位」俊成の邸宅跡地が松原通にあるのも上記と同じ理由です。

f:id:mukashi_otoko:20160709173043j:plain 松原橋

松原通=旧五条通」とすると義経と弁慶の決闘もこの辺りで‥‥、と言いたいところですが、『義経記』では決闘の舞台は清水です。

f:id:mukashi_otoko:20160709173856j:plain 八坂の塔

このまま松原通を直進すれば清水寺に着きますが、少し寄り道。

f:id:mukashi_otoko:20160709174044j:plain 産寧坂

「京都ってええわ~」と思ったあなたは「暗黒腐敗都市」の正体を知らない幸せな人。

f:id:mukashi_otoko:20160709174651j:plain 仁王門

清水寺に到着。

”曲者かな。また今宵もこれにありけるや”

”只今参り給ふ人は、昨日の夜天神にて見参に入りて候ひし御事にや”

f:id:mukashi_otoko:20160709175659j:plain 三重塔

御曹司も思ひ切りて斬り給ふ。弁慶も思ひ切りてぞ打ち合ひける。弁慶打ち外すところを、御曹司走りかかりて斬り給へば、弁慶が弓手の脇の下に太刀の切つ先を打ち込まれて、ひるむところを、太刀の背にて、散々に打つ。

”さて従うや否や”

”これも前世の事にて候ひつらんめ。さらば従い参らせ候はん”

f:id:mukashi_otoko:20160709180040j:plain 本堂

日本人であれば誰もが知っているこの物語に「判官贔屓」と並ぶ民族特有の心性が描かれているように思われる。なぜ負けた人間は舎弟となり最期まで嘗ての敵に尽くすのだろう。弁慶の忠心に戦後日本人がアメリカから離れられない深層心理が隠されているのではなかろうか。

最近、日本がアメリカの保護から自立できない元凶をWGIPや戦後教育による洗脳に帰する言説が保守陣営で流行しているが、ひょっとするとその根っ子は我々が思うよりもずっと深いところにあるのかもしれない。

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ネトウヨの手記

この手記の筆者も『手記』そのものも、いうまでもなく、フィクションである。しかしながら、ひろくわが戦後社会の成立に影響した諸事情を考慮にいれるなら、この手記の作者のような人物がわが社会に存在することはひとつもふしぎではないし、むしろ当然なくらいである。

 

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ネトウヨの夜は長い。その日も僕は日の丸ハチマキを額に巻いて、ネットの動画を見ていた。「あなたへのおすすめ」はもちろん「チャンネルさくらんぼ」のサムネイルだらけだ。僕は何気なくその中の1つをクリックした。

センスの悪いタイトル動画が始まり、いつもの太った司会者が現れる。この男、迸る愛国心はムンムン伝わってくるのだが、相変わらず何を言っているのかよく分からない。その巨体の横にはゲストであろう、評論家の西尾幹二氏が鎮座していた。

軽快に自説を開陳する保守言論界の長老。僕はその直言に心から酔い痴れていた。ところが愛国心で気分が高揚したそのとき、思いがけない言葉を翁が呟いた。氏はあろうことか「保守は馬鹿!」と断言したのである。「保守=正義」と信じていた僕は衝撃を受けた。「そ、そんなはずはない!」と思い、恐る恐る頭の中で「保守」を「馬鹿」に変換してみた。

真正保守 ⇒ 真正馬鹿

行動する保守 ⇒ 行動する馬鹿

親米・反米保守 ⇒ 親米・反米馬鹿

アニオタ保守本流 ⇒ アニオタ馬鹿本流

「ピッタリと当て嵌まるではないか!」と驚愕する僕。胸の動悸は治まらなかったが、突然睡魔に襲われたので、その夜は愛国活動を中断し(動画のアクセスを増やすことも立派な活動である!)、眠ることにした。

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ネトウヨに朝は無い。毎日、真っ昼間に起きる僕は近頃「森田一義アワー」が無性に恋しい。子供のころから慣れ親しんでいたのだから当然だ。人は失って初めて大切なものに気付くのである。それは国家だって同じだ。反日の連中もいつの日か国家の大切さに気付くに違いない。しかしその時にはもはや全てが手遅れなのだ!

ところで今日は酷く目覚めが悪い。原因は昨日の動画だ。西尾幹二の言葉が僕の頭の中を何度も何度も駆け巡る。「ウワァー!止めてくれ!保守は絶対に馬鹿じゃない!」と心の中で叫んだ。「何かこの不快感を払拭する手立てはないだろうか?」「そうだ、書店に行こう!良い本が見つかるかもしれない。」保守の知られざる傑作を求めて、久しぶりの外出だ。

不安な足取りでA書店に到着。この辺りではわりと大きな書店だ。脇目もふらず僕は「いつもの棚」へと向かった。誇らしいことに最近では我々の活動が実り始め、それなりの書店には保守本がズラッと並ぶ専用の棚が存在するのだ!

僕の足は少しばかり震えていた。自分の「信仰」が打ち破られるのが怖かったのである。「もし保守が馬鹿だとすれば、今までの活動は何だったのだろう?」僕は精神の危機に直面していた。

“真理というものが、私がそれを認めようが認めまいがおかまいなく、信頼して身をゆだねさせるよりもむしろ恐怖の戦慄を呼び起こしながら、冷たくそして裸で私の前に立っているとしたら、そのような真理が私に何の役に立つだろう。”

西尾幹二の言葉が真理であったとして、それに一体どれほどの意味があろうか!」

そう自分に言い聞かせた。そして勇気を振り絞り尊敬する諸先生方の本を見遣ると…

倉山満

『保守の心得』 ⇒ 『馬鹿の心得』

中島岳志

リベラル保守宣言』 ⇒ 『リベラル馬鹿宣言』

中野剛

『保守とは何だろうか』 ⇒ 『馬鹿とは何だろうか』

「ああ、すべて当て嵌まる…」僕の頭の中は真白になった。「保守は、馬鹿か…」そう呟いて、茫然と栄光の棚の前で佇んでいた。結論が出た以上もはや書店に用はない。僕はそこから立ち去ることにした。ところが溢れる涙を拭い、踵を返そうとしたそのとき、闇の奥から一条の光が射していることに気が付いた。青ざめた顔をそちらに向けると、小さな本の表紙に「保守」の字が微かに見える。

最後の力を振り絞り僕はその本を手に取った。死んだ魚のような両眼に再び生命の炎が点される。「こ、これは<ゆとり保守界の若きエース>KAZUYA氏の本ではないか!」僕はタイトルを一瞥した。

KAZUYA

『日本一わかりやすい保守の本』 ⇒ 『日本一わかりやすい馬鹿の本』

僕は西尾幹二に敗北した…。

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ネトウヨの昼は静寂だ。夜の戦いのためにひっそりと備えるのが日課である。昼間から「AHOO! 知恵遅れ」に書き込みでもすれば、反日の連中に「ニートは黙れ!」と返されてしまうからだ。ところで奴らもこんな時間に何をしているのだろう?まあ、いずれにせよ我々の戦いとは無関係に、腐りきった戦後日本社会は真っ逆さまに転落して行くのだ!

「このままでは駄目だ。理論、新しい保守の理論が必要だ!」僕は決意を新たに図書館まで足を運ぶことにした。「とにかく西尾幹二を倒さねばならない!」

自慢ではないが僕はネトウヨにしては読書家である。『iLL』も『症論』も毎号欠かさず読んでいる。だから昔の偉い人の名前くらいは自然と覚えてしまう。最も偉大な人物はエドマンド・バークという人らしい。そして日本にも昔は立派な保守思想家がいたそうだ。

軽快な足取りで図書館に到着。早速あまり馴染みのない文芸コーナーに足を踏み入れた。「深沢…、福島…、福田和也じゃない、福田恆存、あった!」僕は『福田恆存評論全集』を手に取った。

「ぶ、分厚い。それに八巻もある…。でも、必ずこの中に僕が必要としている言葉があるはずだ。」震える手を抑えて、取り敢えず各巻の目次に目を通してみた。「あった!『私の保守主義観』こっ、これだ…。」僕は期待と不安を胸に読み始めた。

“私の生き方ないし考え方の根本は保守的であるが、自分を保守主義者とは考へない。革新派が改革主義を掲げるやうには、保守派は保守主義を奉じるべきではないと思ふからだ。私の言ひたいことはそれに盡きる。”

“保守派が合理的でないのは當然なのだ。むしろそれは合理的であつてはならぬ。”

“保守派は見とほしをもつてはならない。”

“保守的な態度といふものはあつても、保守主義などといふものはありえないことを言ひたいのだ。保守派はその態度によつて人を納得させるべきであつて、イデオロギーによつて承服させるべきではないし、またそんなことは出来ぬはずである。”

“保守派が保守主義をふりかざし、それを大義名分化したとき、それは反動になる。”

“保守派は無智といはれようと、頑迷といはれようと、まづ素直で正直であればよい。”

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ネトウヨの深夜は戦場だ。本来ならば反日の連中を論破しなければならない時間だが、今日に限ってはパソコンの電源を入れる気すらしない。原因は昼間の図書館だ。福田恆存の言葉が僕の頭の中を完全に支配していた。鬱蒼とした感情が胸を締め付ける。しかし同時に、心の奥底で何かが芽生えるのを僕は感じていた…。

その夜、彼は生涯で初めて自己と向き合った。裸になり、すべての雑念を取り払って、己の精神を見つめ直した。以下は戦後日本社会が生んだ世紀児の告白である。

”ぼくが片隅で精神的な腐敗と、あるべき環境の欠如と、生きた生活との絶縁と、ネットで養われた虚栄に充ちた敵意とで、いかに自分の人生をむだに葬っていたか。”

”ぼくらは、真の≪生きた生活≫を、ほとんど労役かお勤めとみなすまでになっていて、それぞれ腹のなかでは、ネット式のほうがよほどましだとさえ思っているのだ。”

”ぼくらからネットを取り上げて、裸にしてみるがいい、ぼくらはすぐさままごついて、途方にくれてしまうだろう。どこにつけばよいか、何を指針としたらよいかも、何を愛し、何を憎むべきかも、何を尊敬し、何を軽蔑すべきかも、まるでわからなくなってしまうのじゃないだろうか?”

                     5

ネトウヨにも朝が来た。いつものように遅くまで起きていたのに、今日はコロッと目が覚めてしまった。それにしても不思議なくらい頭がすっきりしている。爽やかで、何とも吹っ切れた気分だ。

「生活、そう生活だ。それを取り戻さなければならない。」「とりあえずバイトを探そう!」

彼は自分に欠落していたものに気が付いた。それは愛国心でもなければ、保守の論理でもなく、生きた生活であった。

「行ってきま〜す!」

タック入りのケミカルウォッシュ・ジーンズに、赤と黒のチェックシャツをイン。お気に入りのリュックを背負った彼の後姿は、眩しいほど、かっ、輝いていた…。

 

【完】

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三条大橋 ⇒ 御所

f:id:mukashi_otoko:20160514182755j:plain 三条大橋

三条大橋東海道の下りの起点であり、上りの終点であります。

三条と云えばネトウヨの大先輩、高山先生ですね。

f:id:mukashi_otoko:20160514183557j:plain 高山彦九郎

先生が望拝する先にはもちろん皇居が‥‥

f:id:mukashi_otoko:20160514184102j:plain

あれ?なんや妙な建物が邪魔しとるぞ!

京都の景観条例は厳しいはずだが‥‥。

f:id:mukashi_otoko:20160514184442j:plain 京都ホテル

世が世ならば焼き討ちにされてますわ。

まあ、この辺りは長州藩邸跡地ですからね。呪われとるんどす。

少し周辺を探索しましょうか。

f:id:mukashi_otoko:20160514184821j:plain 佐久間象山大村益次郎遭難之碑

オデコが広すぎたので暗殺者に狙われ易かったそうです。

f:id:mukashi_otoko:20160514185752j:plain 高瀬舟

「京都ってええわ~」と思ったあなたは「暗黒腐敗都市」の正体を知らない幸せな人。

ここまで来たので、序でに御所まで参りましょう。

f:id:mukashi_otoko:20160514190647j:plain 横井小楠殉節地

一流が消えて二流が生き残る悲劇は先の大戦(応仁の乱ではない)でも繰り返されました。

f:id:mukashi_otoko:20160514191534j:plain 堺町御門

長州藩が警備を担当していたそうです。呪われとるな。

f:id:mukashi_otoko:20160514192040j:plain 建礼門

御所に到着。

では、一首詠んで〆ましょう。

「ももしきや 古きねとうよ しのぶにも なほあまりある 昔なりけり」

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