不遇なる一凡才の手記

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『時代区分は本当に必要か?』

f:id:mukashi_otoko:20171217104017j:plain 『時代区分は本当に必要か?』ジャック・ル=ゴフ/藤原書店

 

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長らく中世史研究をリードして来たアナール学派の泰斗ジャック・ル=ゴフ。彼の遺作となった本書のテーマは、歴史叙述と不可分と考えらる「時代区分」であった。歴史がひとつの連続なのか、あるいはいくつかのます目に区分けできるのかは、依然として決められない問題であるが、そもそも歴史を切り分けることは本当に必要なのか、という歴史学上の根本的な問題である。

キリスト教普遍史の派生物である進歩史観によって、中世は「暗黒」のレッテルを貼られた負の時代であった。進歩史観が凋落した結果、歴史家にとって中世のもつ軽蔑的意味は消え去ったとはいえ、「もはや中世ではないのだ」というような言いまわしはまだ残っていることに変わりはない。生涯をかけてその偏見と闘ってきた著者が、時代区分そのものに疑問を持つのは当然である。

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伝統的歴史学の時代区分では、476年の西ローマ帝国崩壊によって古代は終了し、1492年のグラナダ陥落とコロンブスによる新大陸“発見”によって近代は開始する。中世とはその中間にある停滞の時代に過ぎなかった。この見方は中世の実態を隠すだけでなく、出来事によって時代を区分けし、その年号まで明確に確定する点でも過ちを犯している。時代区分はより柔軟に用いなければならない。人が「歴史の時代区分」をはじめて以来欠けていたのは、その柔軟さなのだ

一方、フェルナン・ブローデルの謦咳に接した著者は年来の主張である「長い中世」という概念を用いて中世を描く。ルネサンスは、たとえその重要性がいかなるものであったとしても、歴史的持続のなかで個性を与えられる資格をどれほど有していても、私に言わせれば特別な時代ではないのである。〈ルネサンス〉とは、長い中世に含まれる最後の再生のことなのだ。ヨーロッパの中世がその使命を終えるのは18世紀半ばである。

結局、篤実な学者らしく本書に於いて「中世」という概念それ自体は否定しなかった。歴史の時代区分を保つことは可能であり、私は保たなければいけないのだと思うと結論は至って穏当なものである。しかし我々が歴史を描くとき、政治的な出来事によって時代を切り分ける義務など無いことを、彼の「遺言」として受け止めようではないか。

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来る西暦2018年は明治改元から150年の節目に当たる。恐らく全国各地で小さな祝賀行事が行われ、各種メディアでも特集が組まれるだろう。これは改元100年目に当たる50年前に繰り広げられた「明治百年論争」の再戦となるかもしれない。その論争は左右対立花盛りし頃に起こったイデオロギー闘争であったが、事実は歴史観を巡る対決であった。

 「明治百年派」は近代日本の起点を明治維新に据えて先人の苦難と業績を称えた。彼らによると、徳川封建体制を打倒した明治政府は大胆な改革を断行し、近代国家・大日本帝国を形成した。結局、鎖国体制の影響で近代化が遅れてしまったために敗戦という憂き目を見たが、その挫折から立ち上がった日本国は繁栄へと歩みを進めている。それは明治レジームを正統化し、その延長線上に戦後日本を措く歴史観あった。

一方、「戦後二十年派」は近代日本の起点を昭和20年に据えて戦後民主主義を礼賛した。彼らによると、徳川封建体制を打倒した明治政府は天皇を頂点とする絶対主義国家・大日本帝国を形成した。当然、近代化に失敗した帝国には英米デモクラシー体制によって打倒される運命が待ち受けていたが、敗戦を機に民主国家へと生まれ変わった近代国家・日本国は繁栄へと歩みを進めている。それは明治レジームを否定し、その断絶の上に戦後レジームを正統化する歴史観であった。

一見、両者の主張は真っ向から対立しているように見える。しかし、実際は政治的な出来事を起点として近代を規定し、さらに国家のレジームを正統化するためのイデオロギー優先の歴史観である点では同じ穴の貉に過ぎない。

 我々は今や出来事やイデオロギーから自由になって近代日本を再検討すべきであろう。そこで思い出されるべき人物が『文明の生態史観』の著者・梅棹忠夫である。当時、この著名な人類学者は政治的な「明治百年論争」に対して距離を置き、独自の歴史観を表明していた。彼は表象の出来事に惑わされることなく、民衆の生活を視点として「化政150年説」を提唱したのである。その史観は制度や観念ではなく生活の実態や世相に注目することで歴史を観るものであった。その社会史的立脚点から明治よりも更に遡って、文化・文政期こそが近代日本の起点であると喝破したのである。彼によると、明治維新は化政期から蓄えられた社会的・文化的エネルギーの政治的帰結に過ぎず、戦後の繁栄もまた化政期から持続する長期的な傾向に過ぎない。

歴史を時代に分けることは、けっして中立的で無邪気な行為ではない。近現代における中世のイメージの変遷を見ればそれは明らかである。このイメージを通じて表現されるのは、一定の定義を得た歴史の流れに与えられる評価であり、集団的な価値判断である。それに、ある歴史的時代のイメージは時とともに変化していくものだ。

時代区分は人為であり、それゆえ自然でもなければ、永久不変でもない。歴史そのものの移り変わりとともに、時代区分も変わる。そういう意味で、時代区分の有用性には二つの側面がある。時代区分は過去の時間をよりよく支配するのに役立つが、また、人間の知が獲得したこの歴史という道具のもろさを浮き彫りにもしてくれるのである。

ヨーロッパの中世と同じように、我々の近代もまた時代の移り変わりとともに変化して行くだろう。それは明治維新や敗戦のような出来事ではなく、我々が江戸時代と呼ぶ「逝きし世」を生きた人々の、生活や心性をいかに解釈するかに懸かっているのである。